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金沢地方裁判所 昭和41年(わ)65号 判決

被告人 前義男 外四名

主文

被告人五名はいづれも無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人前義男は、全国自動車労働組合石川地方連合会(以下全自交石川地連と略称する)執行委員長、被告人妹尾薫は、石川県江沼郡山中町本町一丁目ヤの二二番地に本店を有し、一般旅客自動車運送事業を営む加賀交通株式会社の従業員の一部で組織する全自交石川地連加賀交通労働組合執行委員長、被告人平田耕一は、同組合副執行委員長、被告人紺谷信雄は、同組合書記長、被告人上田武次郎は、同組合執行委員であつたが、同組合においては、昭和四〇年一二月二九日、被告人妹尾、同平田が、前記会社から懲戒解雇されたことについて、同会社に対し、解雇撤回を要求してきたところ、会社側の回答を不満とし、昭和四一年一月二七日午前一〇時頃より、加賀市大聖寺南町ホ四番地、同会社大聖寺営業所において、全自交石川地連並びに加賀地区労働組合協議会傘下の組合員約七〇名の支援を受け、解雇処分の反対決起集会を開催後、同日午前一一時頃より同盟罷業を決行するほか、同会社所有の営業用乗用自動車を組合の実力支配下におくことにより同会社の意思を制圧して右要求を有利に展開しようと企図し

第一、被告人前、同妹尾、同平田、同紺谷は全自交石川地連加賀交通労働組合員らと共謀の上、同日午前一一時頃より同午後四時頃までの間に、前記大聖寺営業所車庫において、組合員多数とともに前記会社所有管理にかかる営業用乗用自動車石五あ―四六八二号(八二号車)、同石五あ―四一四〇号(四〇号車)の前面に、同石五あ―四九三〇号(三〇号車)及び同石五あ―四九二八号(二八号車)を夫々横づけにしてその通路を遮断し、これら各車を容易に出動できないようにしたうえ、会社の意思に反して擅に右三〇号車の前後車輪四個を取り外して隠匿し、且つ右八二号車及び四〇号車のタイヤの空気を抜き取りさらに右八二号車、四〇号車、三〇号車及び二八号車の各自動車検査証と、右三〇号車及び二八号車の各エンジンキーを持ち去り、会社側から右自動車検査証及びエンジンキーの返還を要求されたにもかかわらず、同年二月四日までこれを拒否して抑留をつづけ、前記各自動車を運行の用に供し得ないようにし

第二、被告人上田武次郎は、組合員多数と共謀の上、同日午後一〇時四〇分過頃、江沼郡山中町本町一丁目ヤの二二番地前記会社山中営業所において、同所配車係田藻万作(当五八年)が、会社の指示により保管していた同会社所有管理にかかる営業用乗用自動車石五あ―三九二二号(二二号車)、同石五あ―四九四六号(四六号車)、同石五あ―五〇九〇号(九〇号車)、同石五あ―四六八一号(八一号車)の各エンジンキー及び右二二号車、四六号車、九〇号車の各自動車検査証を、同人の意思に反して強いて取り上げて擅に持ち去り、会社側から右自動車検査証及びエンジンキーの返還を要求されたにもかかわらず、同年二月四日までこれを拒否して抑留をつづけ前記各自動車を運行の用に供し得ないようにし

もつて、威力を用いて同会社の右営業用乗用自動車運行の業務を妨害したものであるというのである。

二、当公判廷に顕出された各証拠を綜合すると本件公訴事実をふくむ次のような事実を認定することができる。すなわち

(争議に至るまでのいきさつ)

(一)  被告人妹尾、同平田は昭和三一年一〇月に加賀交通株式会社の前身である江沼交通株式会社(以下加賀交通株式会社も含めて単に会社と略称する)にタクシー運転手として入社し昭和三四年五月他の従業員らと共に江沼交通労働組合(以下加賀交通労働組合も含めて単に組合と略称する。)を結成した。被告人上田は昭和三四年六月に、同紺谷は同年九月に右会社に入社し、その後まもなく右組合に加入した。

(二)  昭和三八年一二月二八日塚本久男社長時代に全員出勤扱いのもとで会社主催の忘年会が催された。その時被告人平田が風呂場で転んで腰をうちその日から翌年二月二〇日頃まで入院した。当時従業員に対して会社側から公傷・私傷を問わず百パーセント賃金を支払うという約束が交わされていた。しかしその頃会社の経営は苦しく、当時組合代表として経営参加していた被告人妹尾及び塚本久男社長らの取り計いで公傷である旨の虚偽の申告をし、労災保険の適用を受け、その利益は全て会社に帰属した。

(三)  昭和四〇年六月頃社長は塚本久男より尾野作太郎にかわり、同年九月尾野作太郎より打田勇に営業譲渡され、社名も江沼交通株式会社から加賀交通株式会社と変わつた。しかし右営業譲渡の実態は、建物、敷地、従業員は全て以前のままであり、経営者と社名の変更だけであつた。それとともに組合名も江沼交通労働組合から加賀交通労働組合と変わつたが当時組合の役員は前記公訴事実のとおり、被告人妹尾が執行委員長、同平田は副執行委員長であつた。

(四)  打田勇社長は就任後まもなく従業員を集め「全従業員と雇傭契約を新しく結び直したい。全員から新しく誓約書をとりたい。賃金体系を変えたい」旨話し組合側はこれを拒否した。

組合側は会社側と右問題につき何回も団体交渉を重ねたが折り合わず右問題について組合と会社は次第に対立した。打田社長は組合が敵対して来た頃から毎日のように傘等の物がないことから組合員が窃盗をしたと言い、また就任以来初めての給料支払日に従業員のほとんど全員の給料が間違つていたため組合員より会社に対する不信感が蔓延し組合と会社は感情的にも対立していつた。又前記三つの問題について会社側と組合側が折れ合うことは益々困難となり、組合は右三問題の撤回を求めて時間外拒否の闘争を行うことに決定した。

(五)  昭和四〇年一〇月中頃打田社長の実弟で配車係をしていた打田忠四が駅で列車待ちをしていた被告人妹尾をわざわざ呼びに来て「大聖寺公民館から芦原温泉まで行く客があるので行つてくれ。」と伝えられ、会社のチケツトで乗車した右客を芦原温泉まで送り届けた。その帰りに手を上げてタクシーを停車させた、あとで名前が判つた堀利一という客から「大聖寺へ行く車だろう。バスに乗り遅れて困つているので乗せてくれ。」と言われ、帰り車だつたこともあつて料金を取る意思はなく料金メーターを倒さずに吉崎まで送り届けた。右客は降りる時タバコ銭にと伝えて三〇〇円を車内に投げ込む様にして置いて行つた。その後右堀利一より北国新聞社宛に「加賀交通の運転手で料金を不正に着服した」旨の投書があり、打田社長がそれを受け取り右料金不正着服を理由に被告人妹尾を解雇した。しかしその後右投書をした堀利一という男は打田社長の友人であり、打田社長より頼まれて右タクシーに乗り込み右投書をしたことが明らかとなり、堀利一は組合にあやまり、打田社長は、まもなく被告人妹尾の解雇を撤回した。

(六)  その頃会社の運転手は臨時雇の期間の三ヶ月間が過ぎれば当然労働組合員となるのであるが打田社長は運転手である野田昭夫に対し臨時雇の期間が過ぎるとき労働組合に入らぬように勧告した。又右野田昭夫および中村浩雄、西出庄一郎、南出芳男を中心として第二組合を結成する動きもあり、組合の上部団体である全自交とは対立関係にある組織(略称全企労)に加盟したい旨右組織の村上議長に相談をしに行つたことがあつた。

(七)  又その頃打田勇社長と元社長の塚本久男が同席した折り、右打田が塚本に対し前記労災保険の不正受領の問題を告発して組合執行部を解雇したい旨の話がなされた。その後実際に打田社長により右事実についての告発がなされ被告人妹尾、同平田、前記塚本久男は昭和四〇年三月八日逮捕されその後勾留され、被告人妹尾、同平田は起訴され、同月二七日身柄を釈放された。右事件は、現在公判継続中である。

(八)  会社側は同月二〇日頃組合に対し被告人妹尾、同平田を解雇する旨通告した。組合は直ちに右両名の解雇撤回を求めてスト権を確立した。又会社は同月二七日被告人妹尾、同平田の解雇を正式にそれぞれ本人に通告した。右解雇理由は、被告人両名共通の理由として前記労災保険金詐欺の事実であり、被告人妹尾に対しては右の他前記第一回目の同被告人の解雇以後の業務上横領である。又同月三〇日頃会社側は、料亭へ前記野田、中村、西出、南出の他臨時雇の者を集め組合を批判し第二組合を結成する動きを示し情報を受けた組合員四、五名が現場を目撃した。又近馬大聖寺営業所長は昭和四一年一月一〇日から二〇日頃組合員砂谷信夫に対し組合を脱退するように勧告した。右事実は右砂谷より被告人紺谷に話され組合周知の事実となつた。又その頃前記野田、中村、西出、南出の四名は組合の時間外拒否闘争を批判したり、組合の臨時大会に欠席したり、右野田は集会に反対して退場したこともあつた。

(九)  その頃前記全企労の村上議長より、被告人前のところへ「加賀交通労働組合員から組合を分裂して全企労へ加盟したい旨の相談があつた」という旨の電話があり第二組合結成の危機意識は第二組合結成に働く前記四名を除く加賀交通労働組合員の中で非常に高まつていつた。

(一〇)  組合は昭和四一年一月一〇日頃より被告人妹尾、同平田の解雇を求める団体交渉を申し入れたが会社側は全く譲らなかつた。そればかりか団体交渉の席上打田社長は「俺には身内が二、三人会社にいるし、号令すればかけつけてくれる連中がいる組合がストライキをやれば車を持ち出して営業を続ける」旨話したことがあつた。同月二六日午後組合は執行委員会を開き「翌二七日に組合大会を開きその後ストライキをすること、スト破りに備えるためキー、車体検査証を保管し、営業所前で他の労働組合員の支援を得てピケツテイングをはること」等が決定された。

翌二七日午前一〇時頃組合の決起大会が開かれ、同日午前一一時頃ストライキに突入した。右ストライキ突入当時会社のタクシー所持台数は山中営業所に四台、大聖寺営業所に四台、会社従業員は全員約一八名、うち運転手は約一五名、組合に加入している者は約一二名であり、組合に加入している者は全員運転手であつた。なお右ストライキ突入時支援の為に来た他社の労働組合員は六〇名から八〇名位であつた。当時会社と組合との間には労働協約は結ばれていなかつた。

(争議の状況)

(一)  右決起大会終了後支援団体員約四〇名を含め被告人らは、被告人妹尾、同平田の解雇に対する抗議及びストライキ通告書を手渡すことを目的に打田社長の自宅を訪れたが、社長の姿は見られなかつた。同日正午過ぎ被告人前、同妹尾、同平田、同紺谷及び多数の支援団体員は共謀のうえ、公訴事実記載のとおりの行為がなされたのである。

(二)  大聖寺営業所における各車両の当時の外見は司法警察員作成の昭和四一年二月一日付実況見分調書記載のとおり、二八号車については外見上異常なく、三〇号車については四輪ともタイヤを外されており、塵箱のふたでブレーキドラムが直接コンクリートに接地するのを防いであつた。八二号車の左右の前輪タイヤは完全に空気が抜けており、同車の各後輪タイヤ四〇号車の各タイヤについては若干空気が抜けている程度であつた。なおその他には各車両につき異常は認められず、三〇号車の外されたタイヤ、八二号車四〇号車の空気が抜けたタイヤについては翌一月二八日の朝元通り復元された。キー車検については被告人妹尾が一括保管した。

(三)  一方山中営業所においては同月二七日正午頃被告人上田が打田忠四営業所長に対し「キー車検は従来の争議の慣行であるので組合で保管したい」旨申し入れたところ、同人は「そのことは社長から何も聞いていないので社長に聞いてみたい」旨言つたためそのまま放置した。その後同日午後七時頃になつてキー車検を捜したところ無いので江沼交通株式会社時代からの同僚であつた配車係の田藻万作に聞き渡してくれるように要求したところ、同人は「打田忠四所長より預つておいてくれと言われているので渡せない。」と言つてそれ以後黙否して拒否し続けた。その為被告人上田、他二名が交代で説得し、同夜午後一一時過ぎにキー車検の入つたふろしき包を受け取つたのであつた。もちろん田藻万作はキー車検を進んで差し出したわけではなく、不本意であつたことは認められるが、三人が間髪を入れずに説得したものではなく暴力等は全然使われず、多少の興奮は伴つたかも知れないがそれ程大きな声では無かつた旨認定することができる。

三、本件被告人らの行為は前記認定の公訴事実および争議の状況で述べたとおりであり、前述の方法で車両を横付けにし、キー、車体検査証を一括保管し、自動車のタイヤをとり外し自動車のタイヤの空気まで抜いた行為は、刑法二三四条の構成要件を一応充足しているものといえる。ところで被告人らの本件行為はいずれも争議行為の一環としてなされたものである。したがつてさらに争議の目的・手段の正当性について判断しなければならない。

(本件争議の目的の正当性)

(一)  本件ストライキは被告人妹尾、同平田の解雇撤回を要求して行われたものである。

そして本件解雇の理由は前述の如く保険金詐欺と業務上横領であり、右解雇理由のうち労災保険金の詐欺については起訴もされており嫌疑は認められる。

しかし前述の如くそれは解雇の二年も前の事実であること、それは当時の社長の塚本久男も認容して、解雇をしなかつたものであること、右労災保険金の利益は全て会社に帰属していること、昭和四〇年暮頃打田勇社長が右塚本久男元社長に労災保険金のことを告発して妹尾、平田を解雇したい旨伝えていること、それからまもなく告発が打田社長によりなされたこと、当時被告人妹尾、同平田はそれぞれ労働組合委員長、同副委員長の職にあつたことが認められ、その他解雇に至る前述の諸般の事情をあわせ考えると右保険金詐欺による解雇は右詐欺の嫌疑を利用し、これに藉口して組合幹部を会社から追放するという打田勇社長による組合破壊行為の一環として行われたものであると認められる。又もう一つの解雇の理由である業務上横領については、何ら根拠も証拠も会社側から明らかにされず、またこれを認めるに足る証拠もない。

(二) 右認定によると、被告人妹尾、同平田に対する本件解雇は、組合の組織に対する侵害行為であると認められ、被告人らにおいてこれを擁護するため、右解雇の撤回を求めて本件争議行為をなしたことは目的において正当であつたものというべきである。

(本件争議の手段の正当性)

(一)  本件争議の手段については前述のとおり(一)車両の横付け(二)キー車体検査証の保管(三)自動車のタイヤの取り外し(四)タイヤの空気を抜くといつた手段がとられたのである。

(二)  本件争議の手段の正当性を判断するためにはタクシー営業という特殊な営業形態、会社側からのスト破りの可能性復元の難易、物理的損壊の有無、本件争議に至るまでの状況等諸般の事情を総合的に判断しなければならない。ところでタクシー営業は、労働力の給付が代替的であり、その敏捷性移動的性格からみてスト破りは極めて容易であるということができる。又会社側からのスト破りの可能性としても前述の諸事情からみて打田社長の親族および近馬博美、橋詰某、第二組合結成の働きをなした前記野田、中村、西出、南出および臨時雇の小荒、森口、上出等八台の車を動かすに足りる人数は十分確保しており、又これらの者がスト破りをする可能性は極めて大きかつたものというべきである。又前述の打田社長の言動、会社側の組合に対する干渉、前記野田、中村、西出、南出らによる第二組合結成への動き等の諸事情から、スト破り行為に対する危機意識は組合内部で非常に高まつておりこうした危機意識による緊迫した状況のもとで被告人らの各行為が行われたのである。

(三) ところで、被告人らのとつた行動は一般的にいえばたんに労働力の提供拒否にとどまらず、使用者側の対抗手段たる業務遂行行為に対しその使用者側の財産に対する支配を阻止するものであつて違法な手段といえる。しかしながら本件においては前述の如く強いスト破りの可能性があつたこと、タクシーの営業形態よりみてスト破りが極めて容易であること、スト破り行為が行われればストライキの実効が全くなくなること、本件においてはスト破りに対する被告人らの非常に強い危機意識から会社側の出方に対抗し、防衛する手段としてなされたことを認めることができる。又被告人らの行為のうちキー、車体検査証の保管は江沼交通株式会社時代より争議慣行として認められていたものであること、タイヤの取り外し、空気抜きについては行きすぎであるとも言えるが、行為の翌朝被告人らによつて復元されており、これらは全体の争議期間からみて一部の時間であり、タイヤの物理的損壊は全く無かつたこと、しかもタイヤの取り外しは三〇号車だけであり、空気を完全に抜かれたのは八二号車の各前輪タイヤのみでいずれも全体からみて一部の車両であつたこと現実にスト破り行為(会社側の業務執行行為)は行われず対人的な摩擦、暴力の行使は一切無かつたこと、被告人らの行為は通常のストライキにおける労働力提供の拒否の他に実害を生ぜしめたものでないことを認めることができる。

被告人上田の行為については前記田藻に対する説得行為が多少長時間にわたつてはいるが前述の如くキー、車体検査証を保管することは、これまで争議慣行として認められていたこと、被告人上田と右田藻とは江沼交通株式会社時代から一緒に働いてきた同僚であつたものであり、暴力の行使はなく説得も脅迫の程度に至らなかつたということができる。

(四) 以上被告人らの各行為については部分的にやや行き過ぎであることは否定できないがいずれも強い危機意識のもとで、会社側からの予想される業務執行に対し、その執行を断念させるための説得の機会を作る手段としてなされたものでありその他争議の目的、態様、会社側の実害の有無、争議に至る迄の事情等諸般の事情を考慮すれば全体的にみて本件被告人らの行為についてはいずれも正当な争議行為の範囲内と認めることができる。

四、したがつて、被告人らの行為は刑法三五条、労働組合法一条二項により正当行為として違法性を阻却し、結局本件公訴事実は罪とならないので刑事訴訟法三三六条により被告人五名に対しいずれも無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

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